生野の財産

関連リンク
今里筋ぶらりお店マップ

生野区の産業

もともと農村だった生野区も他の地域と同様、時代とともに都市化が進みました。

昔の産業

元来、生野区域には、平野川・猫間川等の河川があり、水利の便にも比較的恵まれていたことから、肥沃な土地で、明治時代は綿・米・麦・採種等を栽培する農村だったのです。明治37年~38年の日露戦争後、大阪市の商工業は飛躍的な発展を続けていたことから、生野村などの土地が工場敷地や住宅地として注目されたことから、第一次世界大戦(大正3年~7年,1914~1918年)後、従来の農地が漸次商工業用地や住宅地へと変化し、鶴橋村に継いで生野村、小路村も都市化の道をたどっていきました。大正初期には、金属製品製造業などが創業されています。

大阪市一番の事業所数

平成15年の調査によると、生野区は大阪市内全体の13.5%を占める最も多い事業所数がある区域です。

中小企業の町

事業所数を産業分類別の割合でみるとこのようになります。

個人経営の商店や工場が主で、卸売・小売業,飲食店が4割を占め、次いで製造業が3割を占めています。 その内訳は上記左表のようになり、製造業においては金属加工やゴム製品関係が多いのが特徴です。

引用について

本コラムは、以下のWEBサイト及び文献を参考・一部引用しています。